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牽牛崎から見る九十九島の景色は素晴らしく、西海国立公園が審議会で決定された昭和29年頃の九十九島の報道写真の多くはここから撮ったものです。
国立公園シリーズの記念切手の中にも取り上げられており、昭和31年10月に発行された切手の中に牽牛崎から見た九十九島の風景があります。
地名の由来ははっきりしませんが、「藩政時代に九十九島のひとつ 牧島に牛牧があり、牽牛崎は、牛をつないだ場所である」等の言い伝えがあります。
検校崎と書いた古地図もありますが、これも牛に関係した伝説が残っており七夕の伝説が重なり「牽牛崎」はロマンに満ちた素敵な地名です。
牽牛崎は旧日本陸軍の砲台があったところで40センチ榴弾砲6門が置かれておりました。御影石とレンガづくりの建物跡が残っており、現在はミニゴルフ場になっております。
「明治32年6月より交通路(砲台道)作り始め。小島の元より砲台まで請負金3、680円。明治32年7月より砲台開き始め。35年春完成。日雇賃 男30銭〜40銭、女24銭〜28銭。畑尻に船着き場、船着き場より砲台まで道路あり。砲台道には両側に松の木を植えて道路を掩蔽してトンネルの如し。赤松にて松茸多く生えたり。明治37年2月陸軍兵70人日野に入込。その前より砲台に200人余り入る。」
と土地の古老は日記に残しており、当時の様子がうかがえる貴重な記録です。なお、明治32年(1904)の米1俵(60閨jの価格は4円でした。
記 澤 正明
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