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「西海国立公園が実現した陰には、忘れることの出来ない大きな功労者が三人いる。中田佐世保市長、西岡知事、西海国立公園期成会顧問龍駿介氏である」
これは、昭和二十九年八月二十七日の時事新聞「西海国立公園特集号」の記事の一部分です。
西海国立公園期成会会長であった中田市長は、八月二十四日に龍駿介氏に宛てて「本日厚生大臣出席ノ下ニ国立公園審議総会ヲ開キ西海ハ国立公園ニ決定シタ、永イ間ノ御努力ヲ感謝シマス、今後一層ノ御援助ヲ乞フ」と東京から電報を打っています。
西海国立公園の指定のために多くの人々が尽力しておられますが、功労第一とされるのが、この「龍駿介氏」です。
龍氏は福岡県の人で光風会に属した風景画家であり、雲仙や富士山を描いた絵で有名です。国立公園協会専門委員であった龍氏は「九十九島は松島を凌ぐ、日本第一の多島海の大景観である」と激賞して、中田市長に佐世保の観光都市化を進言しました。
その後、五島・平戸等を含め西海国立公園期成会が結成されるとその顧問となり、本格的な活動を始め、国立公園審議会委員の誘致に努力し、景観紹介に努めております。
地元の青年団の人達も協力して景勝地の草刈りや松浦島の石段作りをし、舟を漕いで九十九島を案内し、婦人会は炊き出しをしてもてなしをしたそうです。足が不自由であられた国立公園審議会委員の田村剛博士を、駕篭を仕立てて牽牛崎に案内したことは語り草になっております。
「待望ノ西海国立公園イヨイヨ実現シ、百七十万県民ノ喜ビ之ニ過グルモノハアリマセン、コレ偏ニ貴下ノ御尽力ノ賜ト御礼申シ上ゲマス」
これは西岡知事が龍駿介氏に宛てた電報ですが、短い文の中に国立公園の指定を喜ぶ様子が伝わってきます。
記 澤 正明
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