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伊能忠敬は江戸時代に日本全国を測量し『大日本沿海輿地(よち)全図』を作成した人として余りにも有名です。 忠敬が測量の旅を開始したのは一八〇〇年(寛政十二年)のことで、それより一八一六年まで十回測量隊を編成し全国を測量しております。
それから200年、平成十一年から2年をかけて『平成の伊能忠敬 ニッポンを歩こう 二十一世紀への百万人ウォーク』との表題をかかげ、全国を踏破する行事があり、忠敬の業績をあらためて人々に知らせてくれました。
忠敬は上総国(かずさのくに 今の千葉県)に生まれ、十八歳で下総国(しもふさのくに)佐原の伊能家の婿養子となっております。酒造業や米穀の取引などに商才を発揮し、傾きかけた家運を盛り返し、また名主となり公益にも尽くしました。
五十歳で隠居した後、江戸に出て天文暦学を学び、測量術を身につけました。当時は実測による地図はなく、幕府の支援のもとで実測の地図作製を志したのです。
測量隊が当地方の測量を行ったのは、文化九年(一八一二年)のことで、十二月八日から三ヶ月に及んでおります。寒風吹きすさぶ中、複雑なリアス式の海岸や島々を測量している様子を『伊能忠敬 測量日誌』は余すところなく記しております。
佐世保村の到着は十二月二十三日、庄屋 平田密左衛門宅を本陣として五日間の逗留となり付近を測量しております。文化十年の正月は相浦の内山六右衛門宅で迎えております。
七十に近き春にぞ あひの浦 九十九島をいきの松原
『六十九歳の春をここ相浦で迎えることになったが、九十九歳までも生き続けて、この測量の仕事を続けて行きたいものだ』との気概を謳っております。
当時の平戸藩主は名君として名高い松浦清山公で、測量に便宜を与え手厚くもてなしております。そのとき忠敬にお願いして『佐世保測量地図』などの領地の測量図をもらう約束をしております。現在、松浦史料博物館に保存されている伊能図はこの時のものです。
◆記 澤 正明
◆写真 平成7年に発行された伊能忠敬の肖像が描かれた切手
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