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伊司馬江漢は、江戸時代後期に活躍した洋風画家です。若年から狩野派の絵を学び、浮世絵を描き有名でした。蘭学を学び、銅版画を創製し、油絵を描き、天文学・地理学にも造詣が深く、多方面に才能を発揮した人物です。
江漢は安藤氏の子として延享四年(一七四七)江戸で生まれました。名は吉次郎といい、後に姓を唐風(からふう)に改め司馬、名を峻(たかし)といいました。江漢はその号です。
江漢は天明八年(一七八八)西洋画の研究のために長崎に旅行をしており、その時の一年にわたる旅日記が有名な『江漢西遊日記』です。当時の風俗などを克明に書き留めており、貴重な記録となっております。長崎では方々を見物し、オランダ渡りの珍品を見、江戸会所の商人『江助』に化けて出島にも入ったりしました。
長崎を発ち、時津から舟で、平戸に向かっております。天明八年十一月十六日のことです。針尾瀬戸の急流の様子を
『山両方より入り込み、その間僅かにして波なく、潮(うしお)雲珠巻(うずまき)、木目の如し。或(あるいは)岩石に触れ、白波飛んで沸湯(ほっとう)の如し。引き潮に渦へ乗り入れる時は、舟忽(たちまち)巻込と云。それ故潮の満ちたる時渡るなり。』と記しております。
小鯛が浦で舟よりあがって付近を散策し、この辺の様子を『家々には橙(だいだい)を植えて酢として使い、ザボン辻々に売っている』と記しておりますが、今日もザボンは針尾島の特産物です。また、
『夫人は生涯眉をそらず、手の指に金輪をはめている。米・麦を食わず。琉球芋を蒸してカゴに入れ、それのみを食す』と観察しております。
風待ちをし、午前二時に出発。
『満月浪を照らし、寒風肌(はだえ)をとふす。東風(こちかぜ)吹ひて舟走ることはやし。牛ガ首など云嶋を見る。それより九十九嶋の外海を乗り行く。誠に西は朝鮮・唐の大洋なり。風追いにて忽ち夜明けて四時(よつどき)(午前十時)過に平戸嶋に着岸す』とあり、八時間の舟行でした。
平戸では時の藩主『松浦静山(せいざん)公』に招かれて、紅毛書物を拝見し、江漢は画を認(したた)めております。
『薄茶は殿様自身が茶室で下された』とあり、歓待ぶりが窺われます。その後、生月に渡り一ヶ月余り滞在し、捕鯨の様子を詳しく書き残しております。
■記 澤 正明
■写真説明
司馬江漢も立ち寄った「小鯛が浦」。急流の針尾瀬戸を通る舟は、ここで渡りやすい潮流になるまで待つのが常だった。
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