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ルイス・フロイスは、戦国時代の末期から安土桃山時代にわたって三十年あまり日本に滞在したポルトガル人で、イエズス会の司祭です。ポルトガルの首都リスボンで生まれ、十六歳でイエズス会に入っております。
日本に初めて足跡をしるしたのは、永禄六年(一五六三)横瀬浦でした。横瀬浦は西彼杵半島の北端、佐世保港の港内にあります。
当時ポルトガル船は 平戸に入港しており、平戸は『西の都』と呼ばれるほど繁栄していました。
永禄四年(一五六一)、ポルトガル人十五名が殺される事件が起こりました。ポルトガル人の松浦氏にたいする反感は募り、他所へ港を求めることになり、秘密裏に大村氏の所領『横瀬浦』の測量を行っております。時の大村の領主は大村純忠でした。
大村家には貴明という嗣子がありながら、貴明を武雄の後藤氏の跡継ぎに出し、有馬より有馬晴純の子『純忠』を養子として迎えていました。
純忠は、横瀬浦の港をイエズス会に譲渡し教会を建て、キリスト教を領内にひろめる事を認め、ポルトガル商人の交易を容易にする事を約束しました。
永禄五年(一五六二)横瀬浦が開港され、ポルトガルの船が入るようになりました。横瀬には各地から移住者があって、翌年には人家は一千戸程にもなったと記されております。
永禄六年六月、大村純忠は横瀬浦において重臣二十五名とともに洗礼を受けております。日本で最初のキリシタン大名の誕生です。ドン・バルトロメウと称しております。
キリスト教徒となった純忠は、寺社の焼き打ち・仏像の破壊を行ないました。領内での反感は強く、政権基盤は脆弱でした。
反純忠勢力は、後藤貴明をかついで永禄六年七月横瀬浦を攻め、横瀬浦は灰燼に帰することになります。繁栄はわずか二年間で、その後南蛮貿易の港は福田浦・長崎に移って行きます。
ルイス・フロイスは京都でも布教活動を行っており、信長・秀吉にも対面しております。彼が残した膨大な書簡と、その著書『日本史』は当時の状況を知ることが出来る貴重な史料です。
ルイス・フロイスは慶長二年(一五九七)七月八日、長崎で生涯を終わっております。享年六十五歳でした。
写真説明:横瀬にある「南蛮船来航の地」記念碑/澤 正明
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