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日露戦争で、国力と軍事装備で劣る日本がとった戦略は、戦況が有利な段階で米国に斡旋を依頼して早期に戦争を終結させることでした。
当時ロシアの太平洋艦隊は、日本海軍とほぼ同等の戦力を有しており、東郷平八郎中将を司令長官とする日本の連合艦隊はロシア艦隊を急襲しました。
旅順港を見下ろす二○三高地をめぐるロシアとの戦いは非常な激戦となり、多くの犠牲をはらい旅順要塞を落とした日本軍は、ロシア太平洋艦隊を壊滅させ、黄海の制海権を確保、陸軍は奉天の会戦にも勝利しました。
ロシアはバルチック艦隊を東洋に回航し、退勢の挽回を画しました。バルト海を出て二百二十日を要し対馬海峡に達しました。バルチック艦隊は戦艦八隻を主力に、巡洋艦、海防艦、駆逐艦など合計三十八隻でした。明治三十八年(一九○五)五月二十七日、東郷司令長官は大本営に「敵艦見ユトノ警報ニ接シ連合艦隊ハ直ニ出動之ヲ撃滅セントス本日天候晴朗ナレトモ浪高シ」と打電しております。旗艦三笠のマストにはZ旗を上げ「皇国ノ興廃此ノ一戦ニアリ各員一層奮励努力セヨ」と訓令しております。日本海海戦の始まりです。
▲写真は「東山公園の東郷元帥の銅像
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澤 正明
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