昭和20年8月15日に太平洋戦争の終結に伴い、海外におられた邦人約629万人が日本に引き揚げました。このうち佐世保港のこの浦頭の地に、昭和20年10月14日米軍の上陸用舟艇(LST)で、韓国の済州島から旧陸軍軍人9,997人が揚陸したのをはじめ、以後昭和25年4月までに、主に中国大陸や南方諸島から引揚船1,216隻により、一般邦人・軍人・軍属合わせて1,396,468人もの方々が、引揚げの第一歩を印されました。ここ浦頭に佐世保引揚援護局検疫所があったからです。
引揚者の多くは、栄養失調や下痢・皮膚病、敗戦の失意と迫害のために疲労の極限にありました。さらには、無言の帰国をされた人、船内で病に倒れ上陸直後に不帰の客となられた人々がありました。しかしながら、これらの皆さんは一様に夢にみた故国日本の土を踏みしめられた安堵感も併せ噛みしめておられ、その哀歓は筆舌に尽くしがたいものでした。
このような状況の中で引揚者は、上陸と同時に消毒のためDDTの散布を全身に浴び、検疫の後、収容先となった佐世保引揚援護局(元針尾海兵団)までの約7キロメートルの山道を、一歩一歩踏みしめながら歩かれました。そしてたどりついた援護局宿舎で、引揚手続きを終えると衣服、日用品等の支給を受け、二泊ないし三泊の後、南風崎(はえのさき)駅からそれぞれの郷里へ向かわれたのです。
この公園は、再び繰り返してはならない悲惨な引揚げの体験を後世に伝え、世界の恒久平和を願って、元検疫所跡地をみおろす地に全国からの募金をもとに建設されました。
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