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現在、佐世保史料館の一般公開を中止しております。(細部については、史料館までお問合せ下さい。 TEL:0956-22-3040)
明治31年、海軍士官の集会所として建築された佐世保水交社の一部を修復し、7階建の新館を増設した旧海軍の遺産を継承する艦艇史料館です。旧海軍及び海上自衛隊の歴史や活動などをわかりやすく解説し、艦艇模型や各種史料が展示されています。 佐世保市の倉島基地内にある倉島岸壁では普段、なかなか見る事ができない、海上自衛隊の艦艇を一般公開しております。 上甲板まで乗船見学でき、写真撮影も自由です。基地内にある…
太平洋戦争の口火が切られた暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」をここでも中継したと伝えられています。
西海橋の近くにそそり立つ、コンクリート製の三本の塔。この塔は太平洋戦争の勃発の口火を切った真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」をここでも中継したと伝えられています。 300mの正三角形の頂点に立つ136mの塔は、大正7年から4年の歳月を費やし建設されました。
太平洋戦争末期に手彫りで彫られた防空壕
『無窮洞(むきゅうどう)』とは、第二次世界大戦のさなか(1943年)、当時の宮村国民学校の教師と小学生たちが掘った巨大な防空壕のことです。中は幅約5m、奥行き約20m、生徒500人が避難できたというほどの大きさ。避難中でも授業や生活ができるように、教壇まで備えた教室をはじめ、トイレや炊事場、食料倉庫、さらには天皇の写真を奉ずる御真影部屋まで設けてあり、戦時下の時代背景を知ることが出来ます。 当時4…
『平和都市』佐世保のシンボル
佐世保市は、軍港設置とともに急速に発展し、周辺各地からの人の流入も増えました。その中にはカトリック信徒も相当数存在しており、そのような人々の為、1899年(明治32年)に佐世保教会という名称で、谷郷町に設立されました。ところが、更なる信者の急増に伴い、より大きな教会の必要性にせまられ、1931年(昭和6年)に現在の教会が完成しました。美しいゴシック建築ですが、設計者、施工者共に不明。また、太平…
旧海軍時代から続く造船工場
旧海軍工廠を引き継ぐ歴史ある造船所であり、地元での通称はSSK、正式名称は「佐世保重工業株式会社佐世保造船所」です。昭和37年10月、当時世界最大のタンカー「日章丸」もここで誕生しました。 主な業種は船舶、艦艇の建造および改造修理で、佐世保市に基地を持つ海上自衛隊やアメリカ海軍の艦隊の保守、修理なども手掛けています。 また、佐世保の各所から見える大きなハンマーヘッド型クレーン(ジャイアント・カンチ…
ロマネスク様式の美しい教会
黒島天主堂は、文化・文政の頃、生月や外海から移住してきたキリシタンにはじまった。最初に常駐したマルマン神父が、基礎に特産の黒島御影石を積み、40万個のレンガを使い、1902年に祝別した荘厳な教会。 【黒島天主堂を見学される際は事前連絡をお願いします。】 「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」構成資産内の教会堂は、今も祈りの場として使用されています。 ミサや冠婚葬祭などで見学でき…
紅葉の時期には、珍しい逆さ紅葉を見ることができます。
紅葉の時期になると、色鮮やかな「逆さ紅葉」が期間限定で一般公開されます。この時期、お寺では広間の畳を一部はがしてアクリル板をはめ込み、庭園の紅葉を逆さに移るように仕掛けを施します。その景色はまさに、切り取られた絵のように美しく、訪れた人たちを楽しませます。 また、初夏の季節には同様に「逆さ新緑」が公開され、落ち着いた空間に心も洗われます。
長さ30m、幅4mの第三紀砂岩層からなる二条の天然の石橋が天の浮き橋のように架かっています。
平戸ハ景の一つに数えられた御橋観音は、吉井町が誇る名勝です。町の中心部から東へ1km程行った牧の岳の中腹に位置します。御橋観音寺の境内を通り風雅な庭園の奥に、天然の大石橋が浮き橋のように架かっています。境内一帯には国の天然記念物に指定されているシダ群落があり、多種多様なシダ類を見ることもできます。 牧の岳公園が隣接しており、桜や紅葉の名所でもあるので、家族でのお出かけやお花見スポットとしても人気で…
マリア様が子供たちの成長を優しく見守ります。
俵町教会は、1938年に建てられた松山町教会に始まりました。平日は保育所として、日曜は祭壇の前のカーテンを開けて、ミサが行われる広間がありました。地滑りの危険が生じ、1951年、旧上佐世保駅を譲りうけて移転し、翌年、新教会が完成して、俵町教会と命名去れ、現教会は、1994年に建立しました。
平成28年日本遺産に認定されました。
1923(大正12)年5月、凱旋記念館は、佐世保鎮守府管下の12県(九州・四国・沖縄)から、建設予算約8万6000円(現在の価値で約11億円)の寄付によって建設されました。 建物は、レンガと鉄筋コンクリート造りの2階建てで、切妻を正面にみせた左右対称の外観、1・2階を通した柱、幾何学的な装飾等に特徴があります。 完成した当時は、海軍関係の催しに使用されましたが、第2次世界大戦中は…
創業当時からの味を守り続けている酒蔵
潜龍酒造では清酒及び焼酎の製造販売を行う企業・蔵元です。創業当時から継承してきた伝統的な技法で酒造りを続けています。また現在も使われているもと蔵(酛蔵)は元禄元年の創業当時の建築と伝えられており、長崎県指定有形文化財となっています。清酒製造業のほかに漬物製造販売も行っています。
戦後140万人の引揚者が祖国への第一歩を印した想い出の地です。
第二次世界大戦終結の年(1945=昭和20年)の9月、佐世保は外地からの引揚港に指定されました。引揚者の母国への上陸第一歩を印した場所が佐世保湾の南東に位置するこの浦頭でした。引揚者は昭和25年4月までに軍関係者、民間人合わせて約140万人の人々がこの地に上陸されました。 浦頭は1986年、全国からの募金によって平和を願う公園として整備され、また資料館もあります。平成12年に田端義夫氏の「かえり船…
三川内焼古美術の逸品と、400年の伝統を受け継ぐ現代三川内焼の秀作の数々を展示しています。※改装工事の為、2020年9月1日(火)から12月31日(土)まで休館します。
三川内焼伝統産業会館には、江戸期から明治期にかけての貴重な白磁の作品と、名窯元競演による現代作家のコーナーがあり、伝統工芸士たちの作品も多数展示されています。 一般に、古平戸といわれる三川内焼古美術の逸品と400年の伝統を受け継ぐ現代三川内焼の秀作の数々が展示されています。 館内では、楽焼(絵付け)や透かし彫り体験ができます(有料)。
地酒の酒蔵見学と試飲ができます。
天明7年(1787年)創業以来、江戸時代の建物を現在でも使用している造り酒屋です。安政7年(1860年)に建てられた、主屋をはじめ、江戸時代末期建造の瓶詰所、旧むろ、旧仕込蔵、大正期建造の貯蔵庫など7棟が平成14年(2002年)に国の登録有形文化財に指定されています。 お酒の販売はもちろん、酒蔵は年間を通じて見学することができ、お酒の試飲もできます。(お車でお越しの方はご遠慮ください)酒造り…
佐世保軍港の安全を守るために造られた要塞
明治22年(1889)佐世保鎮守府が開かれ、海軍の根拠地としての佐世保軍港が築造されました。それに伴い、艦隊の根拠地である佐世保軍港の安全を確保するため、「佐世保要塞」が計画され、1897(明治30)年から佐世保湾周辺にその築造が開始されました。陸軍の砲台群が佐世保港を取り巻くように造られ1901(明治34)年頃までに、佐世保湾口北側(高後崎、小首、丸出山)、佐世保湾口南側(面高堡塁、石原岳)…
その名のとおり、龍が潜む滝との伝説があり、荘厳な雰囲気に包まれた滝壷は一見の価値あり
平戸八景第七景。高さ約20メートル、滝壷の深さ6メートルのこの滝は、男滝、女滝に分かれており、命名の由来は、文政12年平戸藩主観中公によるとされている。 四季折々の自然の中で,変わらぬ美しさをたたえる荘厳な姿は、今も永い歴史を語りながら、深い感動とやすらぎを与えてくれます。
歴史探索!縄文時代を肌で感じる岩陰。
佐世保市を流れる相浦川中流域の石盛岳南斜面の砂岩露頭に形成された開口17m、奥行最大で7m、高さ約5mの規模の岩陰です。発掘調査では、縄文早期~前期の生活面および旧石器時代、縄文中期~後期、弥生時代、古墳時代の遺物が出土しました。縄文早期から頭や胸位に石を乗せた埋葬人骨や磨製石器を副葬した埋葬人骨など20体を超える埋葬人骨が確認されました。また、縄文前期には、狩猟具としての石鏃や石槍が数多く出…
昔、捕鯨業を営んでいた旧小田家を改築して、古代の遺跡から捕鯨、近代までの民俗資料を展示している町営の資料館
主な展示品・原始・古代の遺跡から発掘された石器、土器・中世時代の中国貿易資料、陶磁器・近世の捕鯨道具、茶道具他