
黒島天主堂でのトークイベント・ハリウッド映画プロデューサーからみた⾧崎県の魅力
マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙-サイレンス-』を手がけたハリウッド映画プロデューサーの宮川さんが黒島を訪れ、黒島天主堂でトークショーを行いました。特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッションの関根さんらと一緒に、佐世保の魅力や映画づくりの裏話、ハリウッドの仕事事情について楽しく語り合いました。
黒島天主堂でのトークイベント
連休最終日の5 月6 日、ハリウッド映画プロデューサーの宮川絵里子さんをお招きし、黒島天主堂で「ハリウッド映画プロデューサーからみた⾧崎県の魅力」と題したトークイベントを開催しました。宮川さんは18 歳で渡米し、映画『キル・ビル』での通訳から映画業界でのキャリアをスタートされました。『沈黙 ーサイレンスー』では共同プロデューサーとして活躍。2024 年に大ヒットした米ドラマシリーズ『SHOGUN 将軍』ではプロデューサーを務め、第76 回エミー賞で18 部門受賞という素晴らしい成果に貢献されています。
今回のイベントでは、ハリウッド映画のプロデューサー宮川絵里子さんのほか、特定非営利活動法人ジャパン・フィルムコミッション事務局⾧の関根留理子さん、佐世保観光コンベンション協会職員が登壇し、司会はシネマナビゲーターの辻美香さんが務めました。
※教会堂内は、特別な許可を得て撮影しております。
「このような美しい場所で話ができることを大変光栄に思います」と挨拶した宮川さん。
映画『沈黙-サイレンス-』はスコセッシ監督にとって28 年という⾧い時間をかけて実現したパッション・プロジェクトだったことに触れ、当時の⾧崎での取材の思い出が語られました。監督は⾧崎の料理が大好きで、ちゃんぽんや皿うどんなども食べられたそうです!
宮川さんは「『沈黙-サイレンス-』という作品がなければ私の今のキャリアはなかった」と、この作品が転換点となったことを強調されていました。徹底的なリサーチと歴史・文化への妥協のないリスペクトの大切さを学んだという貴重な体験談に、会場も熱心に聞き入っていました。
宮川さんは『沈黙-サイレンス-』撮影中の台湾滞在では母親の助けを借りながら1 歳と3歳だった子どもたちと過ごしたことも明かしてくれました。ハリウッドの現場では家族を大切にする文化があり、⾧期撮影では家族ぐるみで支え合う環境づくりがされているそうです。
⾧崎市出身の関根さんは映画『沈黙-サイレンス-』の⾧崎県ロケハンの最初の窓口となり、宮川さんと⾧崎をつないだ重要な役割を果たした方です。関根さんは、日本全国のロケ支援ネットワークを統括する立場から、地域の魅力を映像で世界に発信する意義や、ロケ誘致が地域活性化にもたらす効果について熱く語られました。
『沈黙-サイレンス-』のエピソードから、話は「SHOGUN 将軍」の話題に。真田広之さんとともにプロデューサーを務めたこと、愛娘さんも実はオーディションを受けて出演したことにも触れられました。
撮影時の苦労話として、コロナ禍での撮影だったため、人員確保や感染症対策などが大変だったことも。そんな中、真田さんは毎日のように現場に出られ一度もコロナに感染することなく仕事をされていたそうです。
「真田さんはそのストイックさが桁違い」と宮川さん。
一度も会食することなく、マスクも二重にし、ゴーグルも付けて現場に立たれていたとのことでした。
トークショーの最後には参加者の質問タイムも
「渡米したきっかけは?」という質問には、宮川さんは「緒方貞子さん(日本人初の国連難民高等弁務官)にあこがれて18 歳で留学したんです。国と国の架け橋になりたくて」と答えました。関根さんも「英語とジャーナリズムを学びたくて渡米しました。今の仕事に出会えて良かった」と振り返っていました。お2 人とも最初から映画の仕事に携わりたいと思っていなかったそう。でも2 人の共通点としてあるのは、日本文化をよりよく伝えていきたいという思いでした。
また、映画『沈黙-サイレンス-』についての質問には、宮川さんが「スコセッシ監督にとって『信仰とは何か』が大きなテーマで、特に最後のシーンへのこだわりがすごかった」と興味深いエピソードを紹介されました。
人生の困難を乗り越える秘訣を問われると、宮川さんは「子どもたちが本当に大事なものを思い出させてくれるんです」と語り、関根さんは「諦めずに続けることで、日本の補助金制度ができました。故郷・⾧崎への恩返しのためにも頑張りたい」と熱く語りました。
二人の体験談から、困難を乗り越えながら国際的な映像制作の架け橋として活躍する姿勢が伝わってきました。
約1 時間にわたるトークイベントは、世界の視点から見た⾧崎や佐世保の魅力を再発見する貴重な機会となりました。
映画を通して佐世保の文化や歴史を世界に発信していく可能性を感じさせる、貴重な時間でした。