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受け継ぎ、火を灯す「いーぜる」オーナー・前田和隆さん-1

受け継ぎ、火を灯す「いーぜる」オーナー・前田和隆さん


佐世保の音楽シーンを支えている人たちのなかから3名をピックアップ。自由な佐世保の音楽が見えてくる。

佐世保はジャズのまち。でも、ロックにフォーク、クラシックなどいろんなジャンルの音楽も聴こえてくるとても自由なまちなんです。この特集では、そんな佐世保の音楽シーンを陰で支えている人たちのなかから3名をピックアップ。三者三様の音色に、ぜひ耳を傾けてみてください。

  • ともに音を奏で、寄り添う-1

    ともに音を奏で、寄り添う

    「音食亭Brownie」マスター・三國隆さん

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  • 受け継ぎ、火を灯す-1

    受け継ぎ、火を灯す

    「いーぜる」オーナー・前田和隆さん

  • 料理と音楽で、心を満たす-1

    料理と音楽で、心を満たす

    「FLAT FIVE」オーナーシェフ・羽原輝之さん

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JAZZ SPOT EASEL いーぜる

―「ここからの景色、珍しいでしょ

そう言われ、カウンター越しに窓の外を眺めました。夕暮れがかった空、国道35号線を往来する車、アーケードを行き来したり真下にある京町公園のベンチで休憩をする人々。日本一の長さを誇る「さるくシティ4○3アーケード」のほぼ入口に位置する「JAZZ SPOT EASEL(いーぜる)」から見える景色です。
 

創業1972年、市内随一のジャズスポット。つまり、ジャズの音楽を生演奏で聴くことのできる場所。月に数回、プロ・アマチュアのプレーヤーたちによるライブも開催しています。また、LPレコード4,000枚とCD1,000枚のコレクションの中から好きな曲を選んで鑑賞することもでき、気軽にジャズにふれることができます。

―「ジャズは敷居が高いって思う人は多いけど、まったく知らなくても大丈夫です。『今日はこんな気分なんですけど』ってリクエストくれればOKですから。店長の亜紀さんが淹れてくれるコーヒーでも飲みながら、ね」と快活に話すのは、「いーぜる」三代目オーナーの前田和隆さん。国際運輸株式会社の社長でもある前田さんは、本業の傍ら50年の歴史を刻むこの店を守り続けています。

ふたたび窓の外へ目をやります。車や人の流れは止まることはありません。きっとこの景色は、初代の山下ひかるさん、二代目の百合永貴さんも見てきたことでしょう。戦後から続く、”SASEBO JAZZ” のバトンを大切に守り、多くの人々へ手渡しながら。

SASEBO JAZZといーぜるの歴史

明治中期から旧海軍の「佐世保鎮守府」が開かれ重要な役割を担ってきた佐世保。そんな佐世保にジャズの音色が流れ出したのは、戦後、佐世保米軍基地が置かれアメリカ文化が広まっていった頃でした。1951~1955年には市内で民間のダンスホールやキャバレーが15ヶ所、米軍関係のクラブが9ヶ所軒を連ね、昼夜問わずジャズの演奏がそこかしこで繰り広げられていたといいます。

どのお店にも専属のバンドがおり、その数は約200人以上。日本最西端の小さな港まちに全国から多くのミュージシャンが集まり、音楽と共に生活をしていた時代でした。やがて時代の流れとともにその勢いはおさまり、栄町や湊町にある外国人バーが戦後のまちの賑わいを残すのみとなりました。
 

そんな中、佐世保に再びジャズの火を灯そうと「いーぜる」をオープンしたのが、初代の山下ひかるさんでした。初めは現いーぜるから近い場所にあったビルの半地下に店を構えており、25年前に現在の場所に移転したのだそう。

前田さんとお店との出会いは、開業当初の50年前。高校生時代に遡ります。

アリス、よしだたくろう、ビリーバンバン…当時はフォークソングが席巻し、若者たちはギターに夢中になりました。前田さんもその一人。中学校からギターにふれ、高校生でバンドを組んだ前田さんは友人の誘いで「いーぜる」の大人の世界へと一歩足を踏み入れます。
 

―「アヤシイ半地下の、穴倉のような『いーぜる』は大人の世界だったんですよ。子どもが立ち入れない。ホントはいけなかったんだけど、大人の世界をのぞき見したいなと思ってね。まだ鼻たれ小僧だったんですけど、おっかなびっくり入ったんですよ。そしたらもう、床が見えないくらい真っ暗。けどそんな雰囲気がたまらなくて。オーナーの山下ひかるさんは、その頃から佐世保の有名人だったけど、こんな僕たちでも歓迎してくれたんです。当時は店内にはライブできるようなスペースはなかったから、音楽聴いたり話をしたり、刺激的な時間でした

山下ひかるさんは、佐世保ジャズ文化のキーパーソン。1990年に実現した小さなステージをきっかけに、翌年には市制90周年の記念事業として佐世保港を望む干尽(ひづくし)公園で『サンセット99ライブ・サセボ』を開催しました。以降は会場をハウステンボスや市内のライブハウス、公園やアーケードでの街角へと広げていったことが現在の『佐世保JAZZ』へと繋がっていきました。その規模は西日本最大級にまで成長し、その功績が称えられ2011年には『長崎県地域文化章』を受賞しました。

小さなジャズスポットが支えてきた佐世保のジャズ文化は多くの若者やミュージシャンたちを受け入れてきました。
 

―「30年前ぐらいでしょうか、「いーぜる」横のがらんとしたスペースで二か月に一回くらい、いろんなバンドを呼んでライブイベントをしてましたね。”スペース ユー”って名前だったと思うんですけど。僕の初ステージは、36、7歳の頃です

高校卒業後上京し、家業を継ぐため佐世保に戻ってきた前田さんをも「おかえり」と出迎えてくれたのでした。

「いーぜる」は、多くのミュージシャンを輩出し、佐世保の音楽シーンとともに彼らを見守ってきました。そんな中、2015年に初代の山下ひかるさんはオーナーを引退。ベーシストや舞台スタッフとして幅広く活躍していた百合永貴さんに二代目を託して、その翌年にこの世を去りました。

二代目の百合永貴さんは、とてもパワフルな兄貴分的存在。周囲の人々に元気を与え、日本ジャズ界を代表するサックス奏者・渡辺貞夫さんのライブを佐世保で実現させるなど音楽を盛り上げてきました。しかし、そんな百合永さんは2020年に急逝してしまいました。

悲しみに包まれた葬儀場で、「僕がいーぜるを継ぎます」と申し出たのは前田さんでした。佐世保からジャズの音色を絶やしてはいけない。本業も守りながら、赤字覚悟でやる。そんな決意のもと、三代目としてお店を引き継ぎました。

想いを受け継いで新たなジャズステージを

30回目を迎えようとしていた「佐世保JAZZ」は、新型コロナウイルスの影響で2年連続中止に。音楽活動は縮小を余儀なくされました。そんな中、前田さんの模索は続きます。

観客同士、プレーヤーとの密接を避けるため、佐世保港近くで「佐世保JAZZ 海辺のコンサート」を開催。ほぼ自前の音響機材、協力者たちとのマンパワーによる手作り感あふれるステージは20回を超えました。お客さんたちの評判も良く、プレーヤーたちも手ごたえを感じているそう。

―「山下さん、百合永さんは佐世保のジャズ文化を守り発展させてくれた。大変なことはもちろん多いけど、決して歩みを止めるわけにはいかない」と前田さんは強い眼差しで語ります。今後は、事前のリクエストがあればライブを開催できるよう計画を立てているとのこと。

―「せっかく佐世保に来てくれて、わざわざいーぜるに足を運んでくれたんだから、いつでも音楽が聴けるようにしたいよね」と微笑みます。

前田さんはこれからも、佐世保にジャズの灯をともし続けます。

 

JAZZSPOT いーぜる
住所:佐世保市下京町3-1 ラテスビル2F
TEL:0956-25-1170
営業時間:18:00~23:30
 

 

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